没後50年 松林桂月展 水墨を極め、画中に詠う 2013年8月8日(木)~9月16日(月・祝)

2013年8月8日(木)~9月16日(月・祝)

山口県立美術館

展示案内略歴

第一章

若き日の桂月  ─師・野口幽谷と妻・雪貞─

松林桂月は、明治9(1876)年、萩の中渡(現・萩市山田)に生まれました。数えで18歳の年に上京し、画壇の大家・野口幽谷(1827–1898)に入門します。数年のうちに展覧会への入賞を果たすなど、みるみる頭角を現し、明治34(1901)年には同門の女流画家・松林雪貞(1880–1970)と結婚。華麗な花鳥画を得意とした雪貞は、生涯にわたって桂月を支える大きな存在となります。

明治41(1908)年、文部省美術展覧会(文展)の第二回展に初出品、初入選を果たした桂月は、その後、連続して入選を重ね、大正8(1919)年には、文展に代わって新たに開設された帝国美術院展覧会の審査員に就任します。44歳の若さで、画壇を担う存在としてはっきりと認められたのです。

この章では、桂月が画家としての地位を確立する明治後期から大正初期の作品と、師・野口幽谷および妻・雪貞の作品をご覧いただきます。

松林桂月 「怒涛健鵰」

一八九七年  個人蔵松林桂月 「怒涛健鵰」

一八九七年  個人蔵

松林雪貞 「菊」  昭和中期  個人蔵松林雪貞 「菊」  昭和中期  個人蔵

第二章

桂月芸術の最高潮  ─大正後期から戦前まで─

大正後期から戦前までは、桂月が画家としてもっとも充実していた時期です。震えるような描線が、右上から左下にかけて絡みつくように流れる独特の画風もこの時期に現れます。画壇における地位も、帝国美術院会員(昭和7年)、帝国芸術院会員(昭和12年)、帝室技芸員(昭和19年)と、ますます揺らぎありません。

桂月ならではの山水図のスタイルを決定づけた「仙峡聴泉」(昭和4年、山口県立美術館蔵)。詩・書・画の三つがそれぞれを高めあうという理想を実現した「十声詩意」(昭和9年、財団法人菊屋家住宅保存会蔵)。水墨画と着色画、山水画と花鳥画のいずれをも得意とした桂月の着色花鳥画の代表作「秋園」(昭和13年、宇部市蔵[宇部興産株式会社所有])。そして、昭和14(1939)年、桂月生涯の傑作「春宵花影」(東京国立近代美術館蔵)が描かれることとなります。水墨画技法を駆使することによって朧月夜に浮かぶ桜を表現し、写実性と抒情性とを見事に両立させました。

この章では、次第に調子を高め、最高潮に達する桂月水墨画の世界をご覧いただきます。

松林桂月 「仙峡聴泉」

一九二九年 山口県立美術館蔵松林桂月 「仙峡聴泉」

一九二九年  

山口県立美術館蔵

松林桂月「十声詩意」 一九三四年  財団法人菊屋家住宅保存会蔵松林雪貞 「菊」  昭和中期  個人蔵

松林桂月 「秋園」  

一九三八年  宇部市蔵(宇部興産株式会社所有)松林桂月 「秋園」  

一九三八年  宇部市蔵(宇部興産株式会社所有)

松林桂月 「春宵花影」  一九三九年  東京国立近代美術館蔵松林桂月 「春宵花影」  一九三九年  東京国立近代美術館蔵

第三章

孤高の境地  ─戦後の桂月─

戦後の桂月は、画壇の最高権威の一人として活躍し、昭和33(1958)年には文化勲章を受章しました。

敗戦の年にはすでに70歳でしたが、制作意欲はまったく衰えず、昭和26(1951)年に描かれた「長門峡」(個人蔵)は、繰り返し描かれたこの画題の作品の中でも、光の表現においてもっとも成功した名作となっています。また、微妙な光を繊細に表現した「雨後」(昭和30年、個人蔵)もまた、戦後における桂月花鳥画の到達点といえるでしょう。

一方、「蓮花蜻蛉」(個人蔵)のような透明感ある美しい色彩を持つ花鳥画の魅力も見逃せません。そして、最晩年の山水画では、「夜雨」(個人蔵)のような、山水のかたちを墨の拡がりによって表現する作品が現れます。色絵具を厚塗りした日本画が全盛であったこの当時、桂月の墨画はひときわ異色であったといえます。

この章では、生涯にわたって水墨と色彩の美を追求し続けた桂月が晩年に辿り着いた、孤高の境地をご覧いただきます。

松林桂月「長門峡」 一九五一年  個人蔵松林桂月 「長門峡」  一九五一年  個人蔵

松林桂月 「蓮花蜻蛉」  昭和中期  個人蔵松林桂月 「蓮花蜻蛉」  昭和中期  個人蔵

松林桂月 「雨後」  一九五五年  個人蔵松林桂月 「雨後」  一九五五年  個人蔵

松林桂月 「夜雨」  一九六二年  個人蔵松林桂月 「夜雨」  一九六二年  個人蔵

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松林桂月(1876-1963)

明治9(1876)年
8月18日、山口県萩に生まれる。本名、伊藤篤。
明治27(1894)年
当時の画壇の大家・野口幽谷(1827–1898)に入門。
明治30(1897)年
日本美術協会展覧会に「怒涛健鵰」を出品し、入賞する。
明治34(1901)年
同門の女流画家・松林孝子(号・雪貞)と結婚。
大正14(1925)年
東京都世田谷区深沢に新居落成。画室を「桜雲洞」と命名。
昭和14(1939)年
ニューヨーク万国博覧会に「春宵花影」を出品し、絶賛される。
昭和21(1946)年
第1回日本美術展覧会(日展)審査主任となる。
昭和33(1958)年
文化勲章受章。
昭和38(1963)年
5月22日、死去。
松林桂月

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