生誕100年 松田正平展 2013年4月11日(水)~5月26日(日)

1.油絵との出会い

東京美術学校(現在の東京藝術大学)卒業後、パリに留学した松田正平は、“芸術の都”で本格的な油絵と出会います。西洋美術の古典との邂逅は、ヨーロッパとは異なる歴史的、文化的背景をもつ日本人の画家としての自己を再認識させるとともに、その進むべき道を示す決定的な出来事でした。戦争の勃発により、志半ばでの帰国を余儀なくされますが、パリ留学で培った油絵の具という素材に対する厳格なまでに内省的な姿勢は、生涯を通して松田正平の創作活動の基盤となりました。

《パリ-の裏町》 1938年 油彩/カンヴァス 個人蔵

《コロー「真珠の女」模写》 1938年 油彩/カンヴァス 個人像

2.絵の具との格闘

戦前から戦後にかけて松田正平のカンヴァスは少しずつ厚塗りになっていきます。やがて1960年頃には神経質な線描が刻み込まれた絵の具の塊そのものが圧倒的な存在感を示す独特の作風に到達しました。軽妙なフォルムとぶ厚い絵の具がカンヴァスの上で激しくせめぎ合い、干し魚や昆虫といった日常的な主題の親しみやすさに反して画面には張り詰めた緊張感が漂っています。1950-60年代前半の松田正平の創作活動は、絵の具と格闘しながら、その複雑さ、扱いづらさを克服し、自らの造形意志と技術を一体化する試みであったといえます。

《かみきり虫》 1959年 油彩/カンヴァス 山口県信用農業協同組合連合会蔵

《鳥》 1960年 油彩/カンヴァス 宇部興産株式会社蔵

3.美しい絵ははだをもとめて

還暦を迎えようとする頃、松田正平の作品はそれまでとは異なる傾向を示し始めます。ぶ厚い絵の具を塗り込めたカンヴァスは、徐々に水彩のような透明感のある画面へと移り変わっていきました。パリ時代以降、油絵の具という素材そのものに内在する表現の可能性を探求しつづけた松田正平は、帰国から30年余りの歳月を経て独自の技法に辿りつきます。薄い絵の具を塗り重ね、拭き取っては削り、ときには引っ掻いたりしながら、長い時間をかけて紡ぎだされた晩年の作品。その透きとおった繊細な絵はだは比類のない美しさを湛えています。

《婆》 1962年 油彩/カンヴァス 千葉市美術館蔵

《大威特明王》 1975年 油彩/カンヴァス 山口県立美術館蔵

4.犬馬難鬼魅易

鬼や化け物など、人を驚かすようなものを描くのは易しいが、犬や馬など日常のありふれたものを生き生きと描くのは難しい。韓非子の一節とされるこの言葉は、身近なモティーフをくり返し描きつづけた松田正平の画家としての姿勢をよく表しています。松田正平にとって絵画とは、対象の表層的な似姿や抽象的なイメージではなく、その実感を具えたものでなければなりませんでした。独特の洒脱な線と温かみのある色彩で描きだされたお気に入りの小物や生きものたちは、愛らしい姿を見せながら、四角いカンヴァスのなかで溌剌と楽しげに遊び戯れています。

《バラ》 1983年 油彩/カンヴァス 学習院女子大学蔵

《四国犬》 1990年 油彩/カンヴァス 山口県立美術館蔵

5.悠久の周防灘

1947年、瀬戸内海に浮かぶ祝島をはじめて訪れた松田正平は、以来、足繁く島に通い、その家並みや港から望む周防灘を描きつづけます。季節や湖の加減、陽の傾きによって刻々と移りゆく景色は、戦後、画家としての再出発を期した松田正平の原風景であるとともに、尽きることのない主題の宝庫でした。70歳を過ぎてなお、「祝島を描きだしてもう三十何年経つ、いまだによく描けんけどね」と呟いた松田正平。その瓢々(ひょうひょう)とした線と透明感あふれる色彩が織りなす画面には、柔らかな陽の光を水面に映す悠久の周防灘が広がっています。

《周防灘風景》 1979年 油彩/カンヴァス 宇部マテリアルズ株式会社蔵

《周防灘》 1985年 油彩/カンヴァス 個人蔵

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5.悠久の周防灘

8歳の時、宇部の松田家の養子となり、旧制宇部中学校(現在の宇部高校)に学ぶ。1937年、東京美術学校(現在の東京藝術大学)を卒業後パリに留学。生涯をとおして油彩表現の可能性を探求しつづけ、晩年には透明感あふれる独特の画風を確立した。1984年、第16回日本芸術大賞受賞。2004年、宇部市にて死去。享年91歳。

《自画像(Mの肖像)》 1986年 油彩/カンヴァス 個人像

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